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| 次の朝、凪はすぐに洞窟の男の寝ている部屋へと向かった。 いずれにせよ、状況が気になる。 凪が見に行くと、まだ男は眠ったままだった。 そっと上にかけた衣がずれているのを直す。 男達が起きて、そろそろ働きに行く時間だからだろう、にわかに騒がしくなり始めた。 ふと気が付くと、男が目をあけてこちらを見ている。 相変わらず、凪は男の姿のままだった。 「ようやく目が覚めたようだな、気分は悪くないか。おまえの名前を教えて欲しい。 いつまでもおまえでは何かと不便だからな。」 凪は男言葉のままで男に向かって話しかけた。 男はしばらく凪をじっと見つめていたがようやく言葉を発した。 「たぶん、義弘という名のはずだ。」 凪は義弘と口の中で密かに唱え、間違えないように覚えこんだ。 あたりを見回して竹筒に気が付き、取りに行った。 そのまま竹筒を振って中身が減っているのに気が付いた。 「昨日の紙包みはどうした、もう捨ててしまったか、それとも飲んだか。 あれを飲むと少しは身体が楽になるはずなのだが。ここでは薬草も貴重なので無駄にして欲しくない。」 凪が静かにそう聞くと、義弘は少し下を向いた。 「すまなかった。あれは後から飲んだ。その水も・・・。」 凪は義弘の方に少しだけ近寄った。 「具合はどうか、起き上がれそうか、何か食べられるか。」 凪は続けざまに聞いた。 義弘は、少し考えて立ち上がろうとしたが、すぐにまた膝をついて倒れてしまった。 「まだ無理だ。食べられるかはわからない。」 凪は食事の支度を取りに行く為に出て行こうとした。 「ちょっと待て、おまえ、俺の刀をどこへやった。あれは確か腰につけていたはずだ。」 義弘は先ほど倒れたばかりにしては、力強い声だった。 刀が無い事に気が付いて驚いたのだろう。 凪は振り向いて、静かに答えた。 「刀の行方は知らない。ただ、おまえを運ぶ時に邪魔になったから他の者に預けた。 その者が今はどこへやったか知っているだろう。」 義弘はなおも言葉を続けた。 「あの刀は・・・いや、それよりその者はどこにいる。あの刀をこの手に戻さねば。」 凪は義弘の慌てぶりが少し気にはなった。 「とにかく私には刀よりおまえの身が気になった。別にその者はどこへもやらないと思う。 とにかく起き上がれるようにならないと、どこへも行かれぬ、まずは先に身体を戻す事。 後のことはそれからにしてくれ。食事の支度を頼んでくる。」 凪はじろっと義弘を見ると、そのまま部屋から出て行った。 義弘の刀に対する態度が気になるが、武士というものはそういうものかも知れない。 いずれにせよ、刀は頭領である父が保管しているのに違いない。 父は刀にも詳しい。危ないものは持ち歩かないはずだ。 凪は病人用の食事を頼みに向かった。 ナミが出迎えてくれ、箱膳を一つ手渡してくれた。 「凪さま、お粥を用意しておきました。これならたぶんあの方でも食べられるでしょう。」 箱膳は、お膳の一種だが、薄い箱型で持ち運びに便利なように蓋が付けられていた。 「いつもすまないわね、ナミ、よく気が効いて助かるわ。」 凪はナミにお礼を言った。 ナミはにっこり笑い、早くと手で急がせた。 「凪さまの分はあとからごゆっくりと、温かいものを用意しますからね。」 凪は笑顔になり、洞窟へと向かった。 まず男達が腹をすかせるとうるさいのでさっさと用意をして食事を済ませさせる。 その後から女達で、ゆっくりと食事を取るのがこの屋敷での慣わしだった。 女達の食事の方がたまに一品多いこともある。 それも頭領から許された女達の楽しみだった。 二度目の食事は、家族がいるものは部屋に持ち帰り、家族で一緒に食べる場合も多い。 ただ、急ぎの仕事で忙しい場合は、また別の話だった。 凪は、箱膳を落とさないようにかかえ、洞窟に着いた。 入り口で、兄の志吹と出会う。 「あの男はどんな様子だ、意識は戻ったのか。」 凪は志吹に名前と様子を報告していた。 志吹は凪の顔を見ながらつぶやいた。 「くれぐれも気をつけるんだな。」 凪は箱膳を持って義弘の部屋へと戻った。 何とか座りこんでいる義弘の前に箱膳を置き、蓋を取った。 「お粥だ、これなら食べられるだろうか、とにかく持ってきた。」 用意をしている凪の手をじっと義弘が見ていた。 「いやに細い手だな。これで俺を運んだだと。」 凪は慌てて、手を後ろに回した。 「悪かったな。ここまで意識のない義弘を私が運ぶのは、どう頑張ってもできない。 波にさらわれないように岸辺の中ほどまで引き上げるのが精一杯だった。」 凪の隠した手は、切り傷や擦り傷ができていた。 まだ父にも兄にも見つかってはいないが、もしわかれば、何か言われるのがわかっていた。 義弘は粥の入ったお椀を取り上げようとしたが、手が震えて中身がこぼれそうになった。 じっとそのまま粥を見つめたまま、黙りこんでしまった。 凪は仕方なく、傍により、お椀を手に持ち、義弘の口のすぐ側まで持ってきて支えた。 義弘は凪の顔をじっと見つめ、その後、お椀に口をそっとつけた。 凪は様子を見ながら、お椀をそっと傾けていく。 お粥が入り過ぎないように、熱くないか気をうけて見ていた。 何とか義弘がすべて食べ終わった時、そっとお椀を膳の上に置いた。 その様子をじっと義弘は見つめていたが、何かに気が付いたように、凪の顔を改めて見つめた。 凪は思わず視線を逸らそうとした。 「おまえ、ひょっとして女子なのか?」 引っ込めようとした手を義弘の大きな手がつかんだ。 そっとその手をひっくり返される。 手の平にも甲にも擦り傷が残っていた。 「これも、それも、みんな俺を引き上げた為か。」 義弘は静かにつぶやき、凪の手をそっと離した。 「おまえの名前を教えてくれ。」 凪はためらったが、やはりいつまでもおまえ呼ばわりされるのもしゃくに障る。 「凪。」 一言だけ答えた。 「凪か・・・。ところでここはどこなんだ?」 凪の答えは決まっていた。 「ここがどこなのかは、教えることが出来ない。もし、いずれ陸に戻りたいならば、船の手配をしよう。 但し、ここのことは誰にも他言無用、だから何も知る必要はない。知らなければ言わずに済む。」 凪の言葉を聞いて義弘は黙っていた。 今の状態ではどこへもいけないのはわかっている。 しかし数日経てば、また自由に動けるようになれば、この義弘も出て行くはずだ。 凪は何も考えないようにした。 「ゆっくりと休むがいい。まだ出歩くところまで回復はしていない。後で水と薬を持ってくる。 置いておくから、寝ているがいい。」 凪は立ち上がり、箱膳を片付け、持って部屋から出て行った。 そのまま食事所に向かい、ナミと一緒に用意してくれた食事を取った。 二人で後片付けを済ませると、そのまま部屋へと一旦戻った。 そういえば、嵐の時以来、海里兄を見ていないことに気が付いた。 そういう時は、志吹の言いつけでどこかへ出かけているのだろう。 海里は船を操るのも上手いが、馬を飛ばすのも得意である。 志吹が出かけることは少ないが、海里はよく用事でどこかへと向かう事が多かった。 朝は、義弘の様子を見に行き、食事を運び、凪の持分の仕事を勤めると、 また夕の食事を運んで、様子を時々見ながら、時折他愛のない話をするという日々。 そんな数日が過ぎた。 朝から、凪が食事を運ぼうと、部屋から出た途端、志吹に呼び止められた。 「凪、少し話がある。こちらへ」 志吹の後をついていくと、父と海里も座っている間に入っていった。 凪はそのまま父や兄達に挨拶をして、同じように座った。 志吹は父の言葉を待っているように見えた。 父はようやく言葉を発した。 「凪、あの男、義弘とか言ったな。彼の経歴が少し分かった。まずいことに巻き込まれたような気がする。」 凪はそのまま父の言葉を待っていた。 「まず間違いなく、出発した港に戻れば、義弘の命はない。また着く筈だった港に行っても同様。 すべては彼のもっていた刀によるものだ。」 凪は顔色が青ざめるのがわかった。 「どういう事なのですか。」 凪が尋ねると、父は首を横に振った。 「おまえは知らない方がよい、余計な事に首を突っ込まない方が身のためだ。さてどうしたものか。」 凪は兄二人の顔を順に見回した。 二人ともうかない表情をしているのがわかった。 凪は下を向いて静かに答えた。 「私が余計な事をしたから、迷惑がかかるのですね。もし気が付かなければ・・・。」 志吹が言葉を挟んだ。 「それは違う。あの刀が同様にここに流れ着けば同じ事。しかし男の命は助かったんだ。 凪が余計な事をしたわけではない。」 父は凪に静かに言った。 「おまえのすることには、何か意味があると思う。前の男ですら、危ないが、結局は我らのためになった。 今度の男もどう関わるかはわからない。何か策があるだろう。」 海里が口をはさんだ。 「調べた知らせによると、義弘殿の存在は、すでに行方不明として処理されているようです。 後は追捕の手が放たれるだけかと。」 父は厳しい顔になった。 「どういう事情かは知らないが、はめられたようだな。」 凪は考えながら言った。 「もうすぐ体力が回復してまいります。今後の身の振り方を相談しなければなりません。 こうなった以上、いかがいたしましょう。」 父は志吹に尋ねた。 「こういう場合、志吹ならどうするかい。」 志吹は一時、言葉を失ったように考え込んでいた。 凪はひたすら身を小さくして座っていた。 「そうですね、凪は何も知らなくていいとすると、どうするかをとりあえず聞く必要があります。 どちらにせよ、戻るにしても通常では戻れまい。追捕の手が岸に付くなり、やってくるでしょう。 そうなれば、我らの身も危ない。手を貸さないわけにはいかないでしょう。」 海里が弾んだ声を上げた。 「どっちにせよ、乗りかかった船だ、同じなら楽しんで派手にやろうぜ。」 凪は驚いて海里の顔を見つめた。 海里はにやりと凪の方を向いて笑った。 志吹はそんな海里の様子を苦笑しながら見ていたが、凪の顔を見て何かを感じたらしい。 「凪、とにかく、聞いておいで、話はそれからにしよう。父君、これからの話は我らだけで。」 父は志吹の言葉に肯いた。 「では、凪、行っておいで。」 凪は、すぐさま立ち上がり、食事所へと向かった。 義弘用にわけてある箱膳はすぐにわかった。 中身を確かめ、それを持って、凪は洞窟内の一室へと向かった。 さっき聞いた話が頭に重くのしかかっている。 凪はそっと入り口で声をかけた。 「凪か、もう起きている、入れよ。」 義弘の元気そうな声が聞こえた。 凪はそのまま部屋に入り、いつものように箱膳を前に置いた。 そのまま少し離れて横に座り込んだ。 「いつもすまない。もう歩けるようになったから、持ってきてもらわなくても構わない。」 本当なら凪はその言葉を聞くのを心待ちにしていた。 しかし、今は・・・。 じっと黙って義弘が箸を運んで、食事を取るのをただじっと見つめていた。 少し経って、凪の様子がおかしいのに義弘が気が付いたのだろう。 「凪、どうかしたのか。」 箸を止めて、義弘が尋ねた。 凪はどう答えていいかわからなかった。 「食事が済んだら話があるだけです。」 義弘は食事を続け、箸をおくと、凪に再び尋ねた。 「話とは何だ。」 凪はどう話し出していいかわからなかった。でも今は余計な事は何も言うべきではない。 「もう動けるならどこへでも行ける。この先、どうしたい。」 義弘は凪の言葉を聞くと、少しだけ驚いたような顔をした。 「そうか、そうだったな。いつまでも世話になるわけにはいかん。刀はどうした? 刀を持って、できるなら行くべき場所に行かなければならない。」 凪は言葉を聞いて気分が沈むのを感じていた。 「ここに来てから、ほぼ十日が過ぎた。早いような短いような・・・。」 凪は何気なくそうつぶやいた。 途端に義弘の顔色が変わった。 「何、もう十日も過ぎたというのか。」 義弘は指を折って、何かを数え始めた。 「そんな、では期日はとっくに過ぎている。まさかこんなことになるとは。」 凪は義弘が慌てている様子を感じ取っていた。 凪は義弘の顔をじっと見つめていた。 詳しい事情はわからないけれど、どちらの岸に戻ろうと、もう二度と会うことはないだろう。 それならば、どうして自分があの時に胸騒ぎを感じる必要があったのだろう。 いずれの状況ですら、出てくる結果は同じだというのに。 「いや、でも事情を聞けば、わかってくれるだろう、嵐にあったのだから無理も無いと。」 凪は顔を下に向けた。 どういう場合に、追捕の手がかかるのだろう。 凪は、都に居た時のことを、母と一緒にいた女房たちの話を思い出そうとしていた。 しかし、聞いた話は断片的でほとんど思い出せない事に気が付いた。 「凪、凪、どうかしたか、おいっ、凪。」 凪はようやく自分が呼ばれていることに気が付いた。 「ああ、悪い、考え事をしていた。」 義弘はおかしな表情をしていた。 「どうしても、その話し方、慣れないな。その姿なら女子そのものなのに。」 凪はふと、男物の着物を着ていないことに気が付いた。 慌てて呼ばれたから、そのままで出かけたのだった。 髪も後ろでまとめて結んでいる。 「凪、おまえはずっとここに居るのか、不便ではないのか。」 義弘は何を思ったのかそう尋ねてきた。 「私がここ以外のどこに行けると言われるの。おかしなことを尋ねるのですね。」 凪がそう答えると、義弘は少し黙った。 凪は何気なく言葉を続けた。 「義弘が元居た場所に戻られれば、もう二度とお会いする事はありません。私の事などどうでもいいこと。」 ふと凪の胸が痛くなった。 本当にそうだろうか、どういう理由にせよ、必死で助けた人だった。 二度と会えないにしてもせめてどこかで達者で暮らしていて欲しかった。 でもこのままでは・・・。 足音が聞こえた。 「凪、いるか、入るぞ。」 声は海里の声だった。 「やあ、元気そうだな。ところでこれからどうするつもりだ。凪が聞いたはずだが あまりにも遅いので、俺が尋ねにやってきた。」 義弘は海里の顔を見つめた。 「できれば、行くべきところに向かいたいものです。」 海里は、返事を聞きながら考えたようだった。 「では、こちらへ一緒に来てもらいましょう。凪はもういい、部屋に戻っていなさい。」 義弘は少し不審な表情になった。 「あなたは何者ですか、凪に命令しているようですが。」 海里は、義弘の言葉にわずかな笑みを浮かべた。 「来ればわかるさ。凪のことが少しは気になると見える。」 義弘は不服そうな顔になった。 「当たり前です、凪は、俺を助けてくれた人ですからね。」 凪はじっと下を向いたままだった。 そのまま箱膳を片付け、持ち上げた。 そして二人の顔を見ないようにして、そのまま洞窟の部屋から出て行った。 たぶん兄たちがうまく話しをつけるのだろう。 戻りたいというならそれを支援するまでの事だろう。 元々、義弘は島の男ではないのだから。 そのまま屋敷内に、箱膳を片付けに持って戻った。 箱膳を片付けてしまうと、自分の食事を取る。 いろいろあって、すっかり忘れてしまっていた。 食べ終わると、凪はいつの間にか岸辺に来ていた。 岩に腰を下ろし、ぼんやりと波間を見つめていた。 ここの浜にたどり着いたのだった。 いずれはここから出て行く人だとわかっていたはずなのに。 初めて凪の好意を疑った人だったはず。 どうなってもよかったはずなのに、いざ、追捕の手がかかっていると聞くと、どうしてなのだろう。 とても辛い気分になる。 捕まえられると、島流しか、もしくは・・・。 たぶん生きてはいない。 何も知らない相手だけれど、それだけはイヤだった。 「ここにいたのか、凪。」 横に座る人影があった。 今の声は、兄たちとは違う。 ふと横を向くと、義弘だった。 「凪、おまえのこと、知りたいと思ってはいけないか。」 義弘は海の方を向いたままで尋ねていた。 「なぜ、出て行くのだろう。」 凪はためらいがちに尋ねた。 返事を聞けば、とにかく気持ちの片が付く。 義弘は下を向いて手を見つめていた。 「ここに居てもよいと言われた。何があったのかは聞かないでくれ。まだ動揺が収まっていないから。」 凪はどう答えてよいかわからなかった。 「ここに住むというのか。」 義弘はじっと下を向いたままだった。 「出来ればそうしたい。せっかくおまえが助けてくれたのに無駄にはしたくない。」 凪は黙っていた。 ここにいても、事情は、あまり変わらぬかも知れない。 それでも、たった一人で見送るのとは訳が違う。 そうなれば、答えは一つ。 「好きにすればいい。」 凪は海を見つめていた。 これから何かが始まるかも知れない。ふとそんなことを思った。 海は今日も穏やかだった。 |
| -- 01.23.04 更新 -- |